茨城県の名物料理として有名なものに、けんちんそばがあります。
2016年2月にヒミツのケンミンショーでもけんちんそばが取り上げたれてからは
全国的に有名になりましたね。
さすがにテレビ番組の影響はすごいです。
茨城県民ならば、子供の頃からけんちんそばは食べていると思いますが
なんとなくは分かっていましたが、詳しくはよく分かっていないことも僕もありました。
なので、もう一度復習の意味も込めて調べたものをまとめてみたいと思います。
けんちん汁の始まりや由来は?
けんちん汁の始まりは、中国の普茶料理(ふちゃりょうり)の巻繊(けんちん)が起源とされています。
巻繊(けんちん)とは、根菜類(大根、人参、ごぼう)や豆腐などを油で炒めて、湯葉などで巻いてあげた料理です。
この巻繊(けんちん)が中国から長崎に伝わって、全国的に広まったようです。
そして、けんちん汁ができたのが、鎌倉の建長寺(けんちょうじ)の僧侶が料理中に豆腐を崩してしまい
その豆腐を、根菜類が入った汁の中に入れたのが始まりのようです。
その豆腐を入れた汁が評判となり、広まっていきます。
そして、最初は建長寺の汁だったのが、建長汁になり、「けんちん汁」に変化していったと言われています。
「けんちょうじの汁」→「けんちょう汁」→「けんちん汁」こんな感じですかね。
精進料理なので、動物性食品は一切使いませんので、肉などは入りません。
出汁も、鰹節は使わずに昆布と椎茸でとっていたようです。
常陸屋のそばつゆは鰹節を使っています。
しかし、このお坊さんはよく崩した豆腐を汁の中に入れましたね。
確かに、料理は失敗からいいものが出来ることもありますね。
失敗したと思ったらそこから新しい発見があったりすることがあります。
たまに、テレビ番組で料理をあまりやったことのない女性に、料理を作らせて突拍子も無いものを
作ることがありますが、常識で考えられないことをやるので、新しい発見があったりして勉強になります。
たまには、常識から外れてみると新しいものが見つかることがありますね。
茨城県のけんちんそばはいつ頃からあったのか?
江戸時代の頃の旧暦の新年は節分の2月3日で、その前日に晦日そばを食べる風習が、水戸藩から茨城県に広まったようです。
晦日そばや節分そばと呼ばれていて、今でいう「年越しそば」と同じです。
このころの節分そばの由来も、今の年越しそばと同じで
- 細く長く一年を無事に過ごせるように
- そばがキレやすことから、災難などが切れるように
- 金箔職人が金を集める時に、そば粉をこねて丸めたものを使うことから、金を集めると言われたから
そして、水戸藩がこの節分そばをけんちん汁につけて食べるのが風習となり広まっていきます。
もともと、茨城県の県北の地域(常陸太田市)などでは、そばがよく採れていましたのでそばはよく食べられていました。
そして、根菜類もよく採れていたので、けんちん汁はよく食べられていました。
水戸藩が最初にけんちん汁とそばを一緒に食べたのが先か、茨城県の県北の人たちが普段食べていたのが先かは
定かではありませんが、いずれにしても茨城県全体に広まっていったようですね。
まとめ
いずれにしても、江戸時代の終わりの頃には茨城県ではけんちんそばが食べられていたようですね。
その後も、茨城県では普通にけんちんそばを食べていましたが、常陸秋そばが1978年にできてから
茨城県の奨励品種に採用され、全国にPRするようになりました。
そこで常陸秋そばとけんちんそばを茨城県が名物料理としてどんどん広めていったので、
今のようにたくさんの蕎麦屋さんで
けんちんそばが食べられるようになったのでしょうね。
常陸屋でも根菜類が美味しい冬の間はけんちんそばをやっていますので、是非一度召し上がってください。
3月いっぱいまでやっていますので、よろしくお願いします。